| ●300形(301〜315号車) |
帝国電力(株)技術部工作係は、二度の火災により焼失した車体の改修と車体更新などを自社工場で経験することにより車体製作に自信を持ち自社設計で火災に強い車体の製造を考えます。
設計の参考とするため、横浜・神戸への視察を行い、帰函後の設計段階において電装品・台車など全てを国産品で指定し、車体を函館船渠(現・函館ドック(株))に発注、1936年自社車両工場で組立てられ完成されました。
車内は合板内張り加工とし、外板は電気溶接とリベット仕上げ、また、当時としては画期的な乗降口への「扉」の取付けやロックフェンダー仕様となりました。
函館船渠で車体の製造をし、自社工場で組立てられ完成をしたことから、「北海道産」の車体と呼ばれ、当時の函館市民の間では「鋼鉄車」の愛称で親しまれていました。
1957年700形導入まで主力車両として活躍し、それ以降は予備車的存在になっていきますが、1971年「さよなら運行」でその歴史に幕を降ろします。
廃止以降、1両は梁川町の交通公園内にて静態保存されていましたが、現在は解体されています。
3両は駒場車庫内で装飾車に改造され現在も活躍中です。
313号車は1973年「北海道開拓の村」に寄贈され展示されていましたが、老朽化や破損により現在は非公開となっています。(原形のまま保存) |

駒場車庫内・函館市電300形314号車
1965年頃
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駒場車庫内・函館市電300形315号車
1965年頃
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| ●400形(401〜406号車) |
1922年から1925年に京王電鉄が日本車両で製造(京王23形)した車両で、1926年6両購入した「有段床式ボギー車」で主に東雲線・宮前線で活躍しています。
1960年頃より老朽化のため廃車となっています。
廃止後は405号車が駒場車庫内で静態保存されていましたが、木造車両で腐食のため1970年に解体されています。 |

駒場車庫内・函館市電400形405号車
1965年頃 |
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| ●600形(601〜605号車) |
| 1954年、新潟鐵工所(現・新潟トランシス)で500形の第二陣として4両製造されました。
605号車は汽車会社(現・川崎車両)で製造され、客室内が蛍光灯仕様です。
前面を前後開閉式の変則二枚窓とし、前扉・中扉・後扉を備える車体で搬入。
当初は、窓上をクリーム色、窓下部をエンジ色のツートンカラーでの活躍でしたが、3人乗務体制から2人乗務へ移行された1964年頃、窓下部を若草色に塗装変更され、1969年からのワンマン改造によって、前面を変則三枚窓(一枚が上下に開閉)とし、後扉が閉鎖となりました。
1972年に廃車されています。 |

柏木車庫内・函館市電600形603号車
1965年頃 |
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| ●700形(701〜705号車) |
1957年、新潟鐵工所(現・新潟トランシス)で5両製造された函館では初めての左右非対象型の車体(前扉と中扉)で、前面は600形と同じく開閉式変則二枚窓、電動機に防音ギアーと車輪に弾性車輪を採用しています。
1969年にワンマン化と同時に前面を変則三枚窓(一枚が上下開閉可)に改造され、主に東雲線で活躍しましたが600形とともに1972年廃車になっています。 |

柏木車庫内・函館市電700形704号車
1965年頃 |
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| ●706形(706号車) |
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1963年、新潟鐵工所(現・新潟トランシス)で製造した800形と同形の車体に、同年6月休車扱いとなった518号車の台車と電装品を流用して組立てられた「車体更新試験車」であるとともに「灯油燃焼式暖房試験車」として一形式1車両ですが、間接非自動式用車体であったため、流用された500形の直接式制御では運転室が狭く、運転士には不評で、1968年「灯油式暖房」の成果が認められ、各車両に暖房設備が設置された後の1979年「試験車」としての役目を終えて廃車されています。 |
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| ●500形(1948〜1950 日本車両 30両 直接式制御) |
函館水電当時に自社設計された50形(旧500形)をモデルに、大量輸送を目的として交通局が設計して日本車両で製造されています。
就役後は、特に朝・夕のラッシュ時に前扉・中扉・後扉の3ドア(運転士・車掌2名)で運行され、製造当初の目的を担い全線で大活躍しました。
当初は、ビューゲル仕様でしたが1962〜1963年1月末までにZパンタへ変更され、1963年11月以降には3名乗務の廃止から中扉を締め切って運用されることになりますが、
1970〜71年にワンマン改造が実施されたことで、中扉を復活して後扉を閉鎖します。
1972年11月に、灯油燃焼式暖房の設置が開始されますが、1973年10月1日に501と502が老朽化のため廃車されます。
以後も廃車は継続されますが、そんな中で505が「501」に改番され1987年旧国鉄五稜郭車両所において車体更新を受け、「改501形501」として誕生します。
また、509も貸切専用車として「カラオケ電車(初代)」に改造されました。
車体更新後の501は主に1系統・3系統を中心に運用されますが、初代カラオケ電車(509)の老朽・廃車に伴い、駒場車庫内で改造され二代目カラオケ電車として活躍中であります。
以降、老朽化のため順次503〜528(505・518を除く)まで廃車・解体、現在529が休車扱いで静態保存され、
ラストナンバー530が2005年6月23日から車体改修を受け、新標準色から旧塗装に復元されて同年7月17日から運行されていますが、予備車的存在であります。 |
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| ●710形(1959〜1961 新潟鐵工所(現・新潟トランシス) 14両 間接自動式制御) |
711〜714を710形一次車、715〜724を二次車に分類できます。
二次車から中扉上部に方向幕が設置されています。(現在は閉鎖)
711は1985年旧国鉄五稜郭車両所で車体更新され、改711形711号として活躍しています。
1968年に全車ワンマン改造と暖房が設置されています。
現在、一次車は廃車解体されましたが、715〜724(717は1973年10月台車破損により廃車)は主流として活躍しています。
中でも724は1975年5月から開始された広告車両(カラー電車)第一号であります。
また、715・721〜724には1975年4月に速度計が設置されています。 |
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| ●800形(1962〜1965 新潟鐵工所(現・新潟トランシス) 12両 間接非自動式制御) |
801〜810を一次車(前扉一枚引戸)、811〜812を二次車(二枚引戸)に分類できます。
1968年から1970年にかけてワンマン改造と暖房が設置されましたが、1990年から1997年の間に801〜809は、8000形と8100形にアルナ工機(現・アルナ車両)で車体更新されています。
一次車では810が、二次車は811〜812の2両が現存し活躍しています。 |
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| ●1000形(1955 日本車両 2両 間接非自動式制御) |
旧東京都電7000形(二次車)で、1970年10両が東京都より譲渡されました。
函館到着後、一年間は原形(都電色)のままツーマンで運行されましたが、翌1971年ワンマン改造・暖房設備の設置、
運転席窓の変則二枚窓と改造され車体塗装も当時の市電標準色に順次変更されました。
そんな中、1010がMG不良と部品調達のため都電色のまま廃車・解体されています。
さらに、1973年には車庫の統廃合と減車により1001・1002・1003・1009が、1004・1005も1979・1985年に廃車となって1006・1007・1008の三両が活躍していましたが、
2004年2月に1007が老朽化のため廃車になって、1006・1008の部品補充車体となっています。 |
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| ●2000・3000形(1993〜1997 アルナ工機(現・アルナ車両) 6両 インバータ制御) |
車両の老朽化に伴い、27年ぶりの新型車両で、2000形 2両・3000形 4両が製造されています。
外観に相違はありませんが、2002は3000形と同様、客室窓が一枚下降式になっています。
ともに、インバータ制御で回生ブレーキ仕様ですが、大きな特徴は3000形に函館では初の冷・暖房が装備されているほか、細部に若干の差異があります。
路面電車にシングルアームパンタが採用されたのは国内初であります。(2001・3001) |
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| ●8000形(1990〜1997 アルナ工機(現・アルナ車両) 8両 間接非自動式制御) |
1962〜1965年に製造された800形を種車に台車・電装品を流用し、車体更新車両です。
現在の函館市交通局で主流となっている車体であります。 |
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| ●8101形(2002 アルナ工機現・アルナ車両) 1両 間接非自動式制御) |
1963年製造された807の台車・電装品を流用した国内では初の車体更新による部分低床車であります。
中扉下部に「電動スロープ」を装備し、中扉付近に車椅子のスペースが確保されています。
通常は折りたたみ式椅子を使用し運用しています。
また、車内は冬期間の降雪により転倒防止処置として名古屋鉄道美濃町線モ800(現・豊橋鉄道と福井鉄道)形のスロープ形式ではなく階段方式を採用しています。
運転席窓や客室窓にはスモークガラスが採用されています。 |
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